きれいじゃないほうの「お金」

「結局はお金」とか「世の中お金」とか、きく場面によってはいささかげんなりするほうの「お金」について。

「お金」を悪者扱いするつもりはないけれど、きれいじゃないほうの「お金」の場合、それは終着地点としての「お金」なんだと思う。つまり、それをどう使うかではなくて、とにかく「お金が欲しい」なんてことを言う。「お金を稼ぎたい」と言う。そうすれば人生楽しい、と。もちろんお金がなければ食べていけない。生きていけない。だからお金は必要だけれど、じゃあ食べていけるなら、生きていけるならいいのかというと、きれいじゃないほうの「お金」の話をする人は、たぶんそうじゃない。「いや、余分なお金が必要なんだ」みたいな話になってくる。

間違っちゃいけないんだけど、お金は物事の始まりであって、終着地点では決してない。それはつまり、大学に合格することや就職すること、選挙に勝つこと、社長になることが最終地点じゃないのと同じ。

お金が必要というのは、まず先に野望があっての話なのだ。それで何を成し遂げようとしているのか。成し遂げた先に何があるのか。

「お金持ちになりたい」という欲望は、だから滑稽なのだ。「いい大学に入って、大企業に就職して、せめて部長クラスにはなりたい」とかそういうのと同じように。そんなスタート地点を望むばかりの人生なんてからっぽだと思う。

いや、他人のことを言っているわけじゃない。ときどき自分の中でお金を求める場面があるわけで。そういうときに自分に対して常に疑問を投げかけていたい。「そのお金、どうするの?」と。そしてその疑問から逃げることなく常に反省する自分でありたい。


洋楽の吹奏楽編曲

昔、吹奏楽部にいた頃、ポップ・ミュージックと言えばミュージックエイトだったけれど、はっきり言って編曲の質は高くなかったと思う(ミュージックエイトに限らず)。

 

演奏しているほうはそこそこ楽しいこともあるけど、聴いているほうからするとつまらないことが多い。いかにも吹奏楽演奏用に編曲しました、みたいな感じだし。編曲方法も判で押したみたいにおんなじようなのばかりだし。
 
まあ、吹奏楽と言えば、まずはアルフレッド・リードみたいな王道があって、マーチがあって、クラシック編曲ものがあってだし、ポップ・ステージ用の曲も「コパカバーナ」とか「スパニッシュ・フィーバー」とか「アフリカン・シンフォニー」とかそういうニューサウンズ系の王道があって、あるいは編曲ものに関しても「宝島」とか「トゥルース」とかがあって・・・。だからそういう一時の流行りみたいなポップスの編曲は公式に従って流れ作業みたいにできるものなのかもしれないけれど。でもそれじゃ名曲は生まれにくい。
 
でも、ポップスにも長く歌われ慕われる曲はたくさんあって、それを吹奏楽用にうまくアレンジするのってなかなか魅力的な作業だと思う。
 
今回、なぜ洋楽なのかと言うと、単純に今自分の中で流行っているジャンルだから。別に本当は日本のポップスでもいいんだけれど、最近のはあまり聴かないから・・・。
 
特にそういう勉強をしたわけではないから、あくまで素人目線での話になる。楽器には楽器ごとの音程があるし、楽器の扱いの難しさがあるし、トランペットのフォルテとフルートのフォルテでは音の大きさが違うし、ある楽器ばかりに片寄るとヒマな楽器がつまらないし・・・、とかそういうのを全部考え出したら「編曲者、よく頑張っているな」ということになってしまう。だから、そういうのは半分以上放棄。
 
洋楽を聴いていると、歌う人や楽器によって「あ、この音ってこの楽器でやったら合うんじゃない?」というのが浮かぶことがある。例えばJennifer Lopezが”Booty"で歌う声をきいていると、オーボエやミュートをしたトランペットの音が聞こえてくる。Maroon 5の”Moves Like Jagger"を聴いていると、クラリネットの旋律が聞こえてくる。SiaやBeyonceの声ならテナー・サックスが聞こえてくる、といったふうに。
メロディラインだけでは曲が成立しないので、そこに和声があり、ベースラインがあり、ドラムがあり、その他効果がある。それをどの楽器にさせるかを妄想すると、なんだか自分にも編曲ができるような気分になってくる。何度か五線譜を出して実際にやってみたらどうかと考えたこともある。
 
まあ、実際やってみたら「素人にしてはまあまあ」くらいのレベルが関の山なのかもしれないけれど。
 
もちろん、今そんなことをやっている余裕も全然なくて、ずっと妄想しているだけなのだけれど、いつか形にして(可能であればFinaleみたいなソフトでMidi作って)自己満足できたらなあ、とひそかに夢見ている。