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きれいじゃないほうの「お金」

「結局はお金」とか「世の中お金」とか、きく場面によってはいささかげんなりするほうの「お金」について。

「お金」を悪者扱いするつもりはないけれど、きれいじゃないほうの「お金」の場合、それは終着地点としての「お金」なんだと思う。つまり、それをどう使うかではなくて、とにかく「お金が欲しい」なんてことを言う。「お金を稼ぎたい」と言う。そうすれば人生楽しい、と。もちろんお金がなければ食べていけない。生きていけない。だからお金は必要だけれど、じゃあ食べていけるなら、生きていけるならいいのかというと、きれいじゃないほうの「お金」の話をする人は、たぶんそうじゃない。「いや、余分なお金が必要なんだ」みたいな話になってくる。

間違っちゃいけないんだけど、お金は物事の始まりであって、終着地点では決してない。それはつまり、大学に合格することや就職すること、選挙に勝つこと、社長になることが最終地点じゃないのと同じ。

お金が必要というのは、まず先に野望があっての話なのだ。それで何を成し遂げようとしているのか。成し遂げた先に何があるのか。

「お金持ちになりたい」という欲望は、だから滑稽なのだ。「いい大学に入って、大企業に就職して、せめて部長クラスにはなりたい」とかそういうのと同じように。そんなスタート地点を望むばかりの人生なんてからっぽだと思う。

いや、他人のことを言っているわけじゃない。ときどき自分の中でお金を求める場面があるわけで。そういうときに自分に対して常に疑問を投げかけていたい。「そのお金、どうするの?」と。そしてその疑問から逃げることなく常に反省する自分でありたい。